シモキタ地下室 映画房 ~さあ曽根中生を語ろう~
7月27日(土)15時~

曽根中生とは何者か?
鈴木清順監督の異形の傑作『殺しの烙印』を生み出した伝説の脚本家集団「具流八郎」の一人。
スラプスティックな『(秘)女郎市場』から哀切のノワール『天使のはらわた 赤い教室』まで全くカラーの違うロマンポルノを生み出した監督。
その後も東映や自ら設立したフィルムワーカーズ等を舞台に、映画界を伸びやかに横断。不良少女をビビットに描き出した『BLOW THE NIGHT 夜をぶっとばせ』はスマッシュヒット。
だが、『フライング 飛翔』を発表した後、突然、失踪。
消息不明状態は実に20年に及び、業界内には【死亡説】がまことしやかに流れたが、ある日突然、劇的に出現……
このミステリアスで正体の捉えがたい伝説的映画監督の軌跡を、没後10年を迎えるこの夏、彼と身近に接していた二人の証言者と共に辿ってみたい。
彼らにしか語ることのできない秘蔵エピソードの数々は、灼熱の東京を更に熱くすることだろう!
語り手

鵜飼邦彦
日活撮影所編集部出身の映像編集者・鵜飼邦彦氏は、曽根監督とは助監督時代からの付き合い。
彼は、曽根監督のデビュー作『色暦女浮世絵師』他、初期曽根作品の編集助手を務めた。
その後、曽根監督とともに制作会社フィルムワーカーズを設立、『BLOW THE NIGHT 夜をぶっとばせ』をプロデュース。
近しい存在だからこそ見えていたであろう、曽根監督の素顔。
消息を絶つ前の曽根監督にいったい何があったのか?
略歴
1969年、日活撮影所編集部入社。
日活アクションからロマンポルノまで数多くの作品に編集助手としてつく。
日活退社後の81年に『白日夢』(武智鉄二監督)でフリーの映像編集者として一本立ち。
09年にはドキュメンタリー映画『桃色のジャンヌ・ダルク』を自ら監督する。
現在、日本映画テレビ編集協会理事。

野村正昭
70~80年代に東映洋画宣伝室に在籍していた野村氏は、曽根監督の『太陽のきずあと』(81)で企画から公開宣伝まで携わっていた。
やがて映画評論家となった野村氏は、長く消息不明だった曽根監督の【出現】に立ち会う。
その後、『曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ』のインタビュアーとして、虚実皮膜の曽根監督と対峙したのだった!
略歴
東映洋画宣伝室で、角川映画やジャッキ―・チェン主演の香港映画などの宣伝に携わったのち、広告代理店勤務を経て、映画評論家に。
芸術選奨、キネマ旬報ベストテン、毎日映画コンク―ルなどの選考委員。
編著書に「相米慎二 映画の断章」(芳賀書店)「思い出の森田芳光」(キネマ旬報社)「まわり舞台の上で 荒木一郎」(文遊社)等がある。
最新刊は「食べて、ふかして、飲みほして 味わいぶかき映画たち」(東京ニュ―ス通信社&講談社)。
聞き手

曽根さんって方は?」
鈴村たけし
1980年、実行委員長として第一回ヨコハマ映画祭を開催した鈴村氏。
記念すべきこの第一回に監督賞を贈賞したのが『天使のはらわた 赤い教室』の曽根監督だった。
主演女優賞は同作の水原ゆう紀、助演男優賞も同作の蟹江敬三。
鈴村氏率いるヨコハマ映画祭は、曽根監督の『天使のはらわた 赤い教室』に最大級の賛辞を贈ったのだ。
※監督賞は『太陽を盗んだ男』の長谷川和彦監督とのW受賞。
略歴
80年に第一回ヨコハマ映画祭を立ち上げ、以降実行委員長・代表を歴任。
現在は映画ライターとして活躍している。
編著書に『沓掛時次郎 遊俠一匹(日本カルト映画全集5)』『冬のつらさを 加藤泰の世界』『加藤泰映画華』『平山秀幸映画屋街道』『女優芹明香伝説』(いずれもワイズ出版)などがある。
日時 | 2024年7月27日(土) 15:00〜 トークライブ開演 (14:30 開場) 17:00〜 みんなで語ろう!懇親会 (約1時間) |
会場 | 代田スタジオ(下北沢駅 徒歩7分 普通の民家です) 〒155-0033 東京都世田谷区代田6-8-27 ![]() |
料金 | 3,500円(予約・当日共通) ※ワンドリンク付 (缶チューハイ or お茶) ◆ドリンクの配布は「みんなで語ろう!懇親会」開始時になります。 ※ご予約は下記お申し込みボタンから ※料金は会合当日、現金払いになります |
座席数 | 20席 ※定員数が少ない会場です。ぜひ事前にご予約ください。 |